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最高裁判所第一小法廷 平成8年(オ)938号 判決 1997年10月09日

東京都北区西ケ原三丁目一一番九号

上告人

株式会社 ゼノア

右代表者代表取締役

中村教雄

右訴訟代理人弁護士

小林正彦

右輔佐人弁理士

井澤洵

東京都千代田区一番町六番地四

被上告人

有限会社 生化学研究所

右代表者代表取締役

井上信幸

右当事者間の東京高等裁判所平成六年(ネ)第五三五八号、第五四〇八号商標権侵害差止等請求事件について、同裁判所が平成八年一月一八日言い渡した判決に対し、上告人から一部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人小林正彦、上告輔佐人井澤洵の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友 裁判官 藤井正雄)

(平成八年(オ)第九三八号 上告人 株式会社ゼノア)

上告代理人小林正彦、上告輔佐人井澤洵の上告理由

第一 本件商標権侵害を理由とする差止・廃棄請求を認容した点(判決書・第九丁裏~第二一丁表)について

原判決には、「判決ニ影響を及ボスコト明ナル法令ノ違背」(民事訴訟法第三九四条)があり、「判決ニ理由ヲ附セス又ハ理由ニ齟齬アルトキ」(向第三九五条一項六号)に該る。

すなわち、原判決は、本件登録商標の文字部分の普通名称性を否定し、したがって右文字部分に自他商品の識別力があるとの判断を前提にしつつ、本件登録商標と第一審被告標章とは「カキチャ」の称呼において同一であるとして、本件差止・廃棄請求を認容したが、このような判断には、

右文字部分の普通名称性を否定し、そのことによって自他商品の識別力を認めた点において、論理法則および採証法則ないし経験則に抵触し、審理不尽を犯し、ひいて理由不備および理由齟齬の瑕疵があり、

かつ、右違法の帰結として、商標法第三六条一項、二項(商標権者の侵害者に対する差止請求権)の解釈適用を誤っている

本件登録商標の文字部分には自他商品識別力がなく、したがって上告人標章は本件登録商標を侵害しておらず、本件差止請求は棄却されるべきであった。

以下、右指摘の内容である具体的な事実を明らかにする。

一 原判決は、文字部分それ自体の自他商品識別力を判断の対象としている

貴裁判所に先ずご銘記いただきたいのは、そもそも原判決が判断対象としたのは、一体、どのような事柄であったか、ということである。

そして、原判決がここで判断対象とした事柄は、全く当然のことながら、

「本件第一商標に表された「柿茶」及び本件第二商標に表された「KAKI-CHA」の文字部分から自他商品の識別力を生じるか」、

という問題である(判決書・第一〇丁・末尾の段落。なお、以下では、論述の便宜上、「本件第一商標に表された「柿茶」及び本件第二商標に表された「KAKI-CHA」の文字部分」の語を、「文字部分」と略称する)。さまざまの判旨を連ねているが、その収斂点は、右の設問への解答である。

つまり、原判決は、上告人の主張や原判決の判断と同様に、「文字部分」を独立に考察の対象としている。つまり、

図形部分から切り離された「文字部分」それ自体に、自他商品の識別力が生ずるか、

を問題としている。

言い換えれば、

「文字部分」が、仮に図形部分を随伴しなくても、それ自体として、自他商品識別力を持っているか、

を問題にしているのである。

貴裁判所におかれては、先ず、このことを、ご銘記いただきたい。

二 原判決が設問の論理的前提としている命題の内容一この命題が無視ないし軽視されている矛盾のもたらす理由齟齬の瑕疵

ところで、原判決は、右設問の前提として、

「本件第一商標及び本件第二商標は、」「図形と文字の結合商標であ」り、「標章を構成する文字部分が商品の普通名称あるいは商品の原料、種類等を表すときは、その部分には自他商品の識別力は生じない」(注)、と判示している(判決書・第一〇丁・前段。傍線は当訴訟代理人《以下、同様》)。

この点は、当然のことながら、第一審判決の判断および当事者双方の主張と一致している。

(注)なお、以下、「普通名称あるいは商品の原料、種類等を表す」ものを、記述の便宜上、―格別、「普通名「称」(商標法第三条一項一号該当)と「商品の原料、種類等を表す」もの(同三号該当)とに分けて論ずる実益のない限り、―「普通名称」と総称する。

同様に、区別して使う格別の必要・実益のない限り、普通名称と普通名詞を総称して、「普通名称」の語を用いる。

したがって、原判決は、一審判決がそうしたように、判断の第一歩として、まず、「柿茶」という「文字部分が商品の普通名称あるいは商品の原料、種類等を表す」か否か、を判断すべきであった。

そして、この判断は、本件登録商標を構成する他の要素である図形部分等を斟酌することなく、文字部分それ自体の表示についてのみなされるべきであった。

上告人の主張はもとよりのこと、一審判決も、そのような手順で判断を行っているのである(第一審判決書・二八頁二~四〇頁(三)第一段落。とくに、三五頁第二段落)。

なぜなら、「柿茶」という文字部分それ自体の表示というものの性質という、比較的に平明にして簡易に結論を導ける事柄を問題にし、これについて「文字部分が商品の普通名称あるいは商品の原料、種類等を表す」と言えるならば、それだけで、ただちに、「文字部分からは自他商品識別力は生じない」との結論が出せるからである。

しかるに、原判決は、以下に詳しく分析したように、かかる当然にとるべき、平明、簡易にして直截にくだんの結論に至ることのできる手法、段取りによる判断をしなかった。すなわち、なぜか、「柿茶」という文字部分の表示それ自体に自他商品識別力があるか否かを先ず真正面から問題にするという当然の手順をとらず、あえて、

「文字部分は、柿の葉の図形とともに自他商品の識別力を有する」(判決書・一四丁裏・第一段落)か否か、

を問題にして、いたずらに問題の焦点をあいまいにし、拡散させてしまったのである。

これは、自らの判断の前提とした法的判断を無視し、あるいは著しく軽んじた判断手法をとったものというほかはなく、矛盾である。これ自体がすでに理由齟齬というべきであり、ここに、三以下に指摘する誤謬の芽が胚胎しているのである。

右の観点に立って、以下、原判決の論証過程を批判的に分析する。

三 論証なしに、普通名称性を否定

原判決は、まず、甲号証と弁論の全趣旨を根拠とする事実認定を踏まえて、

「第一審原告の「柿茶」あるいは「KAKI-CHA」外の文字と柿の葉の図柄が一体となった標章は、取引者、需要者において第一審原告の製造販売する柿の葉茶を示すものとして認識されるに至っている」、

「取引者、需要者において、柿の葉の図形と「柿茶」あるいは「KAKI-CHA」の文字部分が結合した本件登録商標をみれば、第一審原告の製造販売する柿の葉の茶の商品に付した標章と認識してきたものである」(注)と結論づけている(第一一丁冒頭~第一四丁表)。

(注)上告人は、この命題を承認するものではない。後日、然るべき時機・方法において、この命題を否定する法的措置を講ずる予定である。しかし、この命題は本件商標登録許容の根拠とされた命題であり、また、本件訴訟での争点とはなっていないので、この命題それ自体の当否については、本件では立ち入らない。

そして、原判決は、右認定を根拠として、次のようにいう。

「したがって、「柿茶」の名称をもって、商品の普通名称あるいは商品の原料、種類等を表すものということはできず、」

「本件登録商標中の「柿茶」あるいは柿茶と同一の称呼、観念を有する「KAKI-CHA」の文字部分は、柿の葉の図形とともに自他商品の識別力を有するというべきである」(右の「柿の葉の図形とともに」という字句の趣旨は、前後の論旨からみて、明らかに、「柿の葉の図柄」と「一体となっ」て、という意味である)(第一四丁表・末行~裏)。

右判断のうち、「柿茶」の普通名称性を否定した判断については、いかなる論証も存在しない。すなわち、この判断は単なる独断である。ことさらに「したがって、」という順接接続詞が使われているが、その前の記述と、その後の記述の間には、根拠一結論の論理的繋がりが全くない。そのことは、一読して明白である。

本件登録商標の自他商品識別力を認めることと、その一構成要素である文字部分の普通名称性を否定すること、あるいは自他商品識別力の存在を肯定することとは、全く別個の事柄だからである。

そして、本来的には自他商品識別力を持たなかった文字標章が、それを一構成要素とする結合商標が商標登録を許されたとたんに、突如として自他商品の識別力を持つようになる、などということは絶対にあり得ないことだからである。

四 普通名称性否定における悖理

次いで、原判決は、上告人の主張を斥ける形で、「柿茶」という名称の普通名称性を否定し、その自他商品識別力を肯定する論旨を詳しく展開する。

しかし、その内容は、終始、悖理というほかはない。

1 正当に、本来的な性格が普通名称であることを承認

まず、第一審判決を踏襲して(同判決書・二八頁~二九頁)、次のように判示するが、「柿茶」という言葉が、少なくとも、本来の、いわば国語学的な意味において、普通名称であることを首肯していることは、一読して明白である(判決書・第一四丁裏から、第一五丁表へかけての段落)。

「たしかに、「茶」の語は、「樹木の一種である柿の木。木の葉に、蒸す、焙る等の加工をして作った飲物の原料となるもの。上記の原料に湯を注いで成分を浸出させた飲物」の意味を有すること、他方、麦茶、昆布茶、玄米茶、朝鮮人参茶、クコ茶、ハブ茶等、本来の意味から転じて、「茶の木以外の植物の葉、実等に加工して作った飲物の原料となるもの。上記の原料に湯を注いで成分を浸出させた飲物」の意味を有することは当裁判所に顕著であり、「柿茶」も、このような「茶」の意味から、柿の葉、柿の実等を加工して作った飲物の原料、又は、その原料に湯を注ぐ、煮出す等して成分を浸出させる飲物を想起させるということができる。」

2 普通名称性否定の根拠とされていることの悖理

そのうえで、原判決は、「柿茶」の普通名称性を否定しているが、その根拠として示しているところは、次の諸点であって、いずれも、合理的なものであるとは言えない。

(一) 無意味な判示

「取引界においては、「柿茶」あるいは「KAKI-CHA」の文字と柿の葉の図柄が一体となった本件登録商標をみれば、第一審原告が柿の葉の茶に付して使用している標章であると認識されるに至ったと認めることができる」との事実認定をし、これを根拠として、「のであるから、このような場合には、「柿茶」あるいは「KAKI-CHA」の文字を含む本件登録商標は、自他商品識別機能を有するといい得るものである」(第一五丁表~裏)、と判示する。

しかし、これは、前記三で言及、批判した論旨の単純な繰り返しであり、「柿茶」という表示の普通名称性の否定にも、その自他商品識別力の肯定にも、なんら―少なくとも直接には、―関連性を持たない判示である。

(二) 「柿茶」「柿の葉茶」という言葉の使用・不使用の状況にかかわる事実認定と意味づけ-その判断手法における基本的な欠陥

柿の葉の茶を指す語としての「柿茶」「柿の葉茶」という言葉の使用・不使用の状況を、当事者双方のとりあげた事例の若干に即して、かつ原審原告の主張とおりに認定し、かつ意味づけした(第一五丁裏~第一九丁裏)うえで、次のように断ずる。

「商品としての柿の葉を蒸して後乾燥した茶の普通名称は、「柿の葉茶」であって、「柿茶」なる名称は、第一審原告の製造販売する柿の葉茶の商品名として取引者、需要者に認識されていることが明らかであ」る(第一九丁裏)。

ここでの判断の仕方には、次のような顕著かつ基本的な欠陥がある。

すなわち、ここで認定した事実群は、普通名称性を否定する結論の論証根拠には少しもなり得ていない。右結論は、単なる独断に過ぎない(なお、本項については、とくに(4)について、追って提出する補充書によって、さらに補足する)。

(1)「柿茶」の本来的、国語学的な意味における普通名称性が、実質上、踏まえられていないこと

前記のとおり、「柿茶」という言葉は、前記のとおり、原判決の立場においても、少なくともそれ自体の本来の国語学的性格としては、普通名称である。

したがって、「柿茶」の普通名称性の存否という議論は、厳密に言い直せば、「本来的には普通名称である「柿茶」の語に、それにもかかわらず、歴史的経過の中で、自他商品識別力が生じたと言えるのか」という問題として論じられて然るべきである。

つまり、事物の性質上、少なくとも本来的には自他商品識別力を持たない普通名称に、なんらかの事情によって自他商品識別力が生じたという、極端に例外的かつ特異な事象が存在しているか、という問題がここでの検討対象なのである。

しかし、原判決には、被上告人の主張と同様に、このような視点が皆無である。この視点なしに、いわば倒錯した発想に立って、ことを論じている。

つまり、「「柿茶」の語は、本件登録商標の一構成要素として他の構成要素であるくだんの図形と結合したことにより、また、被上告人サイドの長年にわたる使用継続、宣伝と他社の使用を排除する努力の成果として、自他商品識別力が生じた」との命題を立て、そのことからただちに、全くなんらの論証なしに、「「柿茶」の語それ自体に自他商品の識別力が生じた」と断じてしまう、そして、この命題を揺るがすに足るような格別の事情(すなわち、「柿茶」の普通名称性を首肯するに足るような《―》格別の事情)があると言えるか、という形で問題を論じようとするのである。

たとえば、判決書・第一八丁裏・中段末尾の「・・・をもって、「柿茶」が普通名詞であると認めるに至らないというべきである」という措辞には、右の倒錯した発想が如実に露呈している。

(2) 本件登録商標が商標法第三条第二項に基づいてなされていることをはじめ、本件登録商標に関連する諸々の登録出願手続きの経過・内容を一警すれば、「柿茶」の普通名称性が関係者の共通認識であり、常識であることが明らかであるのに、そのことを直視していないこと

すなわち、本件商標登録は、商標法第三条二項に基づいてなされたものであり、同条一項によってなされたものではない。

このことは、本件において、最も重要かつ基本的な事実の一つである。

つまり、本件登録商標は、それ自体の本来の性質としては、自他商品の識別力を欠くものとして、同条三号ないし五号により、商標登録の道を塞がれているのである。そのことは、本件登録商標が商標法第三条二項に基づいてなされているということの、論理必然的な内容である。そして、「柿茶」という文字部分にも、少なくともそれ自体としては、自他商品の識別力がなく、同第一項一号三号によって、商標登録の道を塞がれているのである。

実際にも、かって被上告人側では、「柿茶」という文字標章だけからなる商標の登録を出願したが、そのような登録は許されなかった(乙第六二号証~第六六号証《被上告人が出願》。乙第五九号証~第六一号証《被上告人と代表者および本店所在地を同じくする訴外株式会社柿茶が出願》)。そして、「柿茶」という文字標章に図形が結合した本件登録商標だけが、しかも「使用をされた結果需要者が何人かの業務にかかわる商品」「であることを認識することができるもの」として、例外的に登録を許容されたのである。そして、高標登録願書に添付された証明書(その実質は、単なる供述証拠。甲第五号証~第七号証および第一三号証。乙第六二号証の二の一~一三)の記載も、当然のことながら、少なくとも末尾の、「柿茶」という文字標章の自他商品識別力についての記載に関する限り、措信されなかったのである。もし措信されていれば、「柿茶」という文字標章だけからなる商標の登録が、許される筋合いである。

また、「柿茶」が商標法第三条一項一号および同三号に該当する普通名称であることは、次のような、被上告人による工業所有権登録出願関連の事実群からも明らかである。

ⅰ 被上告人自身が、代理人弁理士作成の特許出願明細書(甲第七七号証)において、「柿茶」という言葉を、それを登録商標である旨を付記することなく、記載している。これは、斯界の常識として、この言葉を普通名称として用いたことを意味している。

なぜなら、特許法施行規則の、様式29に関する定めにより、明細書においては、「登録商標は、当該登録商標を使用しなければ当該物を表示することができない場合に限り使用し、この場合は登録商標である旨を記載」しなければならないことになっているからである。

ⅱ もし本件登録商標の構成要素である「柿茶」という文字に自他商品の識別力を有しているのだとすれば、被上告人の持つ他の登録商標(乙第七号証および第八号証)と連合商標の関係になる筈である。しかし、三者は連合商標の関係に立っていない。このことは、「柿茶」に自他商品の識別力がないことが斯界の常識になっていることの証しである。

原判決の判示は、これらの、本件にとって最も基礎的な事項を無視することによってのみ成り立つものである。実際、原判決は、これらの事実を完全に無視したのである。

(3) 誤てる二者択一の諭理

原判決は、無自覚に、「「柿の葉(の)茶」と「柿茶」の、いずれが普通名称か」という、二者択一の論理で、この問題を捉えている。「柿の葉(の)茶」も、「柿茶」も、少なくとも本来の国語学的性格からすれば、ともに普通名称である。したがって、その一方が普通名称として使用されている事実は、他方が普通名称であるか否かについて、中立的な(ニュートラルな)事実である。他方が普通名称であることを否定する根拠には全くならない。

原判決は、この理を、完全に没却している。

(4) ここでの事実認定や認定した各事実の意味付けの仕方が、それ自体として、甚だしく恣意的、かつ不合理

たとえば、上告人が繰り返し特筆大書した、商標登録実務における、原審原告や特許庁の行為や実務感覚(「柿茶」という言葉を、普通名称として扱っている。本件登録商標の登録でさえ、「柿茶」に自他商品の識別力がないことを絶対の前提として許されているのであり、少なくとも斯界の常識を備えた者であるならば、何ぴともこれを否定できないのである)が完全に視野の外に置かれている。

また、たとえば、他ならぬ西勝造自身が、「柿茶」を普通名詞として使用している事実を無視している。

さらに、「「柿茶」なる名称」が「第一審原告の製造販売する柿の葉茶の商品名として取引者、需要者に認識されていることが明らかであ」る、との結論を直接かつ積極的に根拠づけるものとして示されているのは、「健康食品に関する事典類では、いずれも柿の葉を蒸して後乾燥した茶を「柿の葉茶」と記載し、このうち「健康食品便覧」、「健康産業名鑑」では、第一審原告製品の商品名を「柿茶」と記載していること」だけである(第一九丁表~裏)。

五 「称呼において同一であり」「類似するから、」「本件商標権を侵害する」論の誤り

原判決は、右に批判した普通名称性否定=自他商品識別力の肯定の論に続けて、次のように言う(第一九丁裏・3(一)~第二〇丁裏・(三)の前行)。

「図形を含む商標であっても、その一部である文字部分から称呼、観念の生ずる場合があり、本件登録商標はその場合に該当するといえる」。

「本件登録商標は、」「その図形部分からは特に特定の称呼を生じ難いものであるのに対し、顕著に表された「柿茶」あるいは「KAKI-CHA」の文字部分は、親しみ易く理解し易いものであるから、取引者、需要者は、該文字部分を捉えて「カキチャ」の称呼をもって取引することが認められる」。

「本件登録商標と第一審被告標章とは、称呼において同一であり、第一審被告標章は、いずれも本件登録商標に類似するから、第一審被告の右商標の使用行為は、第一審原告の有する本件商標権を侵害する」。

右傍線部分については、なんらの証拠が示されていない。裁判所の感得したところを率直に開陳されているだけのことである。

そして、仮に、右傍線部分の事実をみとめ得るとしても、前記のとおり「柿茶」という文字部分に自他商品の識別力がない以上、「それは本件登録商標が付された」第一審「原告の商品としての柿の葉の茶を他の業者の商品と識別するものとして称呼し、観念しているものとは認められないから、本件登録商標中の「柿茶」」「の文字部分を本件登録商標の要部ということはできない」(第一審判決書・四〇頁)したがって、本件登録商標と第一審被告標章とが「カキチャ」という称呼において同一であるとしても、後者の使用が前者の商標権を侵害することにはならないのである。

前記のとおり、本件登録商標は、「文字+図形」だからこそ登録できたのであって、被上告人や原判決のごとき、いったん登録されたら、文字部分のみで排他効を持つかのごとくに考えるのは、商標法第三条二項の趣旨にもとるものであり、保護される資格のないものを保護することになる。譬えていえば、「〔雪の結晶の図形〕+アイスクリーム〔という文字〕」の形態の商標について、図形部分に称呼が生じないとして、称呼の生ずる「アイスクリーム」部分に効力があるかのように考えるのと同断であり、ナンセンスである。

そもそも、「文字+図形」の構成の商標につき、文字のみに称呼が生ずるとして、そのこと自体から、文字部分の自他商品識別力を首肯するのは根拠を欠く。どのような称呼が生ずるかの問題は、自他商品識別力を担っているものが何かの問題とは、別の次元の事柄である。

第二 原判決が上告人の権利濫用等の主張を排斥した点(判決書・第二一丁表~第二二丁表)について

原判決には、「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背」(民事訴訟法第三九四条)があり、「判決ニ理由ヲ附セス又ハ理由ニ齟齬アルトキ」(同第三九五条一項六号)に該る。

一 前記「第一」の上告理由がそのまま当てはまる

原判決は、第一審判決と同じく、上告人が権利濫用等の主張の前提としている事実の一部を認めつつも、「しかしながら、」本件差止請求に対する判断部分において「前判示のとおり、本件登録商標からは「カキチャ」の称呼が生ずるものであり、取引者、需要者は第一審原告製品の商品名を『カキチャ』と称呼している等前記認定の諸般の事情をも考慮すると、右事実があるからといって、」本件差止請求「が権利の濫用であるとはいえ」ない、と判示する」。

要するに、原判決のここでの判断は、実質上、前記「第一」の判旨、つまり、本件登録商標の文字部分は普通名称でなく、したがって、自他商品の識別力を有する、という点を最大の根拠とするものである。したがって、この判断につ言いては、前記「第一」の上告理由が、すべて、当てはまる。

万一、原判決のいわば真意において、その他の「前記諸般の事情」の中に、より決定的な判断要素が存在していたのだとしても、その事実(群)が具体的に摘示されておらず、またその事実(群)の持つ意味合い(権利濫用等を否定する方向に働く判断要素であること)も明らかにされていないから、少なくとも理由不備の瑕疵があるものといわなければならない。

二 判断遺脱ないし審理不尽・理由不備

上告人の権利濫用等の抗弁において、これを基礎づける事実として主張したのは、次の事実である(上告人の第一審・第五準備書面・一三頁以下。同・原審・第二準備書面・九頁以下)。

「被上告人が柿の葉茶の販売に用いているパッケージ、栞や注文用私製葉書には、「柿茶」という文字標章のみからなる商標が登録商標であるかのごとき表示が堂々となされている《乙第七二号証ないし第七四号証》。その典型は、「柿茶は生化学研究所の登録商標です」という表示である。

「柿茶」という文字標章のみからなる商標は登録商標ではないから、被上告人が商標法第七四条の禁ずる虚偽表示をしていることは一見明白である。しかも、被上告人は、本件訴訟の前後を通じて、「柿茶」が自らの登録商標であるとの主張を堅持して譲らず、恬として恥じるところがない。」

そして、これらの事実は、(法的評価の点を除いた、法的構成前の事実としては、)自白事項である(被上告人の第一審・第五準備書面・第六丁裏)。

そして、原判決は、「昭和五二年頃以降『柿茶』の語を書籍等の中で普通名称として使用した者に対し、「柿茶」は第一審原告の登録商標である旨注意、警告する文書を送付していること」、すなわち、被上告人が久しい以前から商標法の規制内容の少なくとも骨格くらいは知っていて、これをおかす者に厳しい態度で接していたことを窺わせる事実を認定している。

にもかかわらず、原判決は、上告人の指摘した右の事実群について、一言隻句も言及していない。

一般条項に基づく主張を基礎づける重要な事実の主張にかかわる判断を遺脱している点で(とりわけ、商標法の厳しい規制の少なくとも骨格は熟知していることの窺われる被上告人が、余人には厳しく接しながら、自らの非違行為については恬として恥じることなく今なおこれを継続している事実があるのに、これを全く無視している点で)、判断遺脱ないし審理不尽・理由不備のそしりを免れない。

三 法令の解釈・適用の誤り

原判決は、これらのもろもろの誤りを重ねた帰結として、信義誠実の原則、権利濫用の不許を定めた民法第一条二項三項およびクリーン・ハンドの原則の解釈適用をも誤ったものである。

第三 不正競争防止法にかかわる判断の一部をしなかった点(判決書・第二三丁表・前段の括弧書き)について

原判決には、不正競争防止法に基づく請求に対する判断を遺脱した、審理不尽、理由不備の瑕疵(民事訴訟法第三九五条一項六号)がある。

すなわち、原判決は、本件請求のうち、商標法に基づく請求のうち、差止めおよび廃棄の点を認容した結果、不正競争防止法に基づく予備的請求のうち、差止めおよび廃棄の点に対する判断をしなかった。

しかし、原判決は、すでに指摘したとおり、まず、商標法に基づく請求を斥け、進んで、不正競争防止法に基づく請求につき、上告人の控訴理由たる主張に具体的な判断を加えたうえ、後者の請求についても、これを斥けなければならなかった。

この意味において、原判決には、前記「第一」「第二」において指摘した瑕疵があった結果として、不正競争防止法に基づく請求についての判断を遺脱した審理不尽、理由不備の瑕疵がある。

結びに代えて

以上、縷述したとおり、原判決の判断、とりわけ、その核心をなす、「柿茶」は普通名称にあらず、したがって、「柿茶」それ自体に自他商品識別力あり、との判断は、極めて強引、かつ理不尽なものである。率直に申し上げて、市民常識にもとるものと論評しても決して過言ではない。

原判決は、なにゆえに、あえて、このような判断をされたのであろうか。

いかなる観点から、このような解決を「スジ」とお考えになり、「スワリ」が良いとお考えになったのであろうか。

思えば、被上告人の主張や被上告人提出の供述証拠には、繰り返し、柿の葉茶の効能を発見し、これを世に喧伝し、商品化し、品質向上を遂げてきたについての、被上告人サイドの創造性、先進性、優越性、著名性を確信する、誇りと愛惜の自意識が極めて率直に語られている。また、そこでは、柿の葉茶による健康法をその一環として含む「西式健康法」や、その創始者であり、指導者である西勝造に対する深い敬慕と信頼の情が強くにじみででいる。そして、被上告人サイドにおいては、「柿茶」という名辞は、単なる一つの物品名ないし商品名ではなく、これらの認識と情緒をも塗り込めた、かけがえのない固有のシンボルとして、それゆえに他の物品、商品には絶対に使われてはならない、その意味では「聖なる」名辞として感得されている様子が窺われる。本件請求をも含む、余人の普通名称としての使用を厳しく咎める行為も、そのような認識と情緒を主要な動機としてなされているもののようである。

原審裁判所は、ことによると、このような被上告人サイドの強烈な情緒や姿勢、その表明の率直さや或る種の純粋らしさに説得され、引きずられてしまったのではないであろうか。その結果として、不知不識の間に、採証法則、経験則や論理法則等にもとる悖理をおかしてしまったのであろうか。

もとより、被上告人が、自らの商品や、その商標をどのように認識し、そこにどのような思い入れをするかは、被上告人の自由であり、そこに余人が介在する余地はない。たとえば、上告人は、「柿茶」の製造・販売におけるオリジナリティや、「柿茶」の品質の優劣について、被上告人とは著しく異なる認識を抱懐している(乙第七六号証では、これらの点が、ほぼ網羅的に陳述されている)が、その問題は本件の争点に―少なくとも直接には、関連しないので、主張としては提出していない。

大事なことは、被上告人の認識の真否にかかわらず、また被上告人の思い入れの如何にかかわらず、それらは、「柿茶」の普通名称性や自他商品識別力の問題とは、次元の異なる事柄だということである。

「柿茶」の普通名称性や自他商品識別力の問題は、至極当然のことながら、被上告人の主体的な状況や、いわんや被上告人の主観的な認識・情緒の如何によってではなく、正に「柿茶」という文字標章それ自体の問題として、粛々と、かつ淡々と判断されなければならないのである。

以上

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